農場で育った兄弟の弟は幼少期から友達と一緒に即興劇をしたり、自ら衣装を着て物語を演じるなどクリエイティブな才能と人を楽しませる能力に長けていました。

そんな才能ある弟がアニメーションの会社を立ち上げる際、兄のロイは弟を支えるため会社の財務を担当することを決意します。

しかし、二人で会社を創業するも途中でキャラクターの権利を奪われるなど経営難に陥り、会社は倒産してしまいます。

ただそれでも諦めなかった弟はすぐに2つ目の会社を創業しました。

2つ目の会社では1928年に「蒸気船ウィリー」、1937年には「白雪姫と七人の小人」という作品で大成功を収めます。

その会社を成功させた弟の名前はウォルト・ディズニーです。


ウォルト・ディズニーは5人兄弟

ウォルト・ディズニーは農業や新聞配達事業を経営するエリアス・ディズニーの子供として生まれ、幼少期は農場で自然や動物と触れある機会が多く、兄たちと一緒に新聞配達なども行っていたそうです。

ウォルトには三人の兄と一人の妹がいます。

  • 長男:ハーバート・ディズニー
  • 次男:レイモンド・ディズニー
  • 三男:ロイ・ディズニー
  • 四男:ウォルト・ディズニー
  • 長女:ルース・ディズニー

長男・次男・長女はウォルトのビジネスに関与することなく、長男と次男は農場経営に従事していたそうです。

ウォルト・ディズニーの天才的な才能を見つけ支えてくれたのは、3番目の兄ロイだけでした。


大きな挫折

ウォルトは高校生活中に夜間学校で美術を学びますが、第一次世界大戦が勃発すると1918年には年齢を偽って赤十字社に入隊し、フランスで救急車の運転手として従軍します。

その後、1921年にカンザスシティにてアニメーション制作会社「ラフィーグラム・スタジオ」をロイと共に立ち上げますが、わずか3年で経営難に陥ります。


ラフィーグラム・スタジオを倒産に追い込んだのは、当時非常に人気のあった「ウサギのオズワルド」というキャラクターが提携先であるユニバーサル・ピクチャーズ(ラフィーグラム・スタジオは下請け業者という立ち位置)との交渉の結果として、キャラクターの権利がウォルト側にないことが発覚したためです。

一部のアニメーターにも裏切られ、ラフィーグラム・スタジオは倒産します。

しかし、この倒産が後の大成功を収めるあの「ミッキーマウス」というキャラクターが誕生のキッカケとなりました。


多くの反対を押し切る

1937年、ディズニーが世界初の長編アニメ「白雪姫と七人の小人」を公開するまでの世界では、アニメーションは短編上映が主流であり、長編アニメーションは誰もが成功しないとされていました。

前例のない挑戦に対して多くの人が反対し、ディズニーの愚行とまで揶揄されたそうです。

また1955年に設立したディズニーランドの建設の際にも、ウォルト・ディズニーは多くの反対を受けています。

ミッキーマウスを誕生させ、白雪姫(長編アニメーション)で大成功を納め、ディズニーランド建設まで漕ぎ着けるなど、どれも自身の財産を担保にリスクを背負って挑戦し続ける強い信念とリーダーシップには感服します。


1966年12月15日、ウォルト・ディズニーは肺癌による肺炎と急性循環不全でディズニー・ワールドの完成を見ないままバーバンク市内の病院で死去(満65歳没)。

兄ロイはディズニーワールド開園時、「ウォルトがまだ生きていてこの開園が見られれば良かったのに残念でしたね。」という記者のインタビューに対して、以下のように答えたそうです。

    「いえいえ、ウォルトが最初に夢を見たんです。そのおかげであなたが今見れているわけです」

私たちが今見ているディズニーランドの風景も、約70年前のウォルト・ディズニーが想像した世界だからこそ実現出来たのかもしれません。


ウォルト・ディズニーの名言

    夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい、すべて一匹のねずみから始まったということを。

どんな逆境の乗り越えてきた人だからこそ、説得力がある言葉です。


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